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半高山(玉東)の桜
半高山・吉次峠古戦場は、明治10(1877)年に起きた国内最後の内戦「西南戦争」において、西郷軍(薩軍)が守備し、明治10年3月3日から4月1日まで明治政府軍との間で壮絶な戦いが繰り広げられたところです。吉次峠は、熊本と玉名高瀬を結ぶ吉次往還の峠道で、険しい地形は天然の要害として政府軍の行く手はばみ、「地獄峠」として恐れられました。平成20~24年度に行った発掘調査では、大量の小銃弾丸や砲弾の破片が発見されており、当時の戦いの激しさを物語っています。(平成30年3月玉東町教育委員会設置の案内板より) ※国指定史跡 西南戦争遺跡、半高山(はんこうやま)標高294メートル、吉次峠(きちじとうげ)
近くには、薩軍一番大隊長篠原国幹(くにもと)戦没の地や激戦地田原坂があります。2022年3月27、28日撮影。
熊本城と桜(震災前)
震災以前に撮影された熊本城の桜を紹介します。
桜満開の熊本城
熊本地震前から桜の季節には、熊本城の花見に多くの人々が訪れていました。完全復旧した天守閣が2021年4月に特別公開第3弾として一般公開され、天守閣を見守ってきた桜を近くで見ることができるようになりました。花日和だった3月27日(日)には約8,200人が訪れ、天守閣入り口には入場のための長い行列ができていました。(2022年3月28日撮影)
満開を迎えた玉高の桜
第2棟と第3棟の間にある「桜の広場」(2006年2月完成)の桜も満開を迎えました。
岩本橋の桜
荒尾市上井手岩本の諏訪川に架けられている岩本橋は、昭和40年2月に熊本県指定重要文化財に指定されています。橋のたもとにある桜が満開を迎えています。(2022年3月27日撮影)
「ここは江戸時代、三池往還の肥後と筑後の藩境にあたり、藩の関所が置かれた交通の要衝であった。この橋がいつ架けられたかについては安政5年(1858)、明治元年(1868)、明治9年など諸説がある。また、石工の棟梁についても種山(現東陽村)の名工橋本勘五郎との推定もあるが定かでない。石は阿蘇凝灰岩を用いており、長さ32メートル、幅4メートルである。二連のアーチの直径は各々12.5メートル、12.6メートルあり、やや扁平な楕円状になっている。橋脚を保護するための水切や上流の水勢を規制するなど、橋を守る工夫がなされている。本県の眼鏡橋としては後年の架橋であるだけに保存状態も良く、姿も美しい」(陶板の説明文より)