荒尾近辺の桜を紹介します。2022年3月29日撮影。
カテゴリーアーカイブ: GO TO CHIKABA
玉名近辺の桜
玉名市、和水町、南関町の桜を紹介します。2022年3月27、29、30、31日撮影。
半高山(玉東)の桜
半高山・吉次峠古戦場は、明治10(1877)年に起きた国内最後の内戦「西南戦争」において、西郷軍(薩軍)が守備し、明治10年3月3日から4月1日まで明治政府軍との間で壮絶な戦いが繰り広げられたところです。吉次峠は、熊本と玉名高瀬を結ぶ吉次往還の峠道で、険しい地形は天然の要害として政府軍の行く手はばみ、「地獄峠」として恐れられました。平成20~24年度に行った発掘調査では、大量の小銃弾丸や砲弾の破片が発見されており、当時の戦いの激しさを物語っています。(平成30年3月玉東町教育委員会設置の案内板より) ※国指定史跡 西南戦争遺跡、半高山(はんこうやま)標高294メートル、吉次峠(きちじとうげ)
近くには、薩軍一番大隊長篠原国幹(くにもと)戦没の地や激戦地田原坂があります。2022年3月27、28日撮影。
熊本城と桜(震災前)
震災以前に撮影された熊本城の桜を紹介します。
桜満開の熊本城
熊本地震前から桜の季節には、熊本城の花見に多くの人々が訪れていました。完全復旧した天守閣が2021年4月に特別公開第3弾として一般公開され、天守閣を見守ってきた桜を近くで見ることができるようになりました。花日和だった3月27日(日)には約8,200人が訪れ、天守閣入り口には入場のための長い行列ができていました。(2022年3月28日撮影)
岩本橋の桜
荒尾市上井手岩本の諏訪川に架けられている岩本橋は、昭和40年2月に熊本県指定重要文化財に指定されています。橋のたもとにある桜が満開を迎えています。(2022年3月27日撮影)
「ここは江戸時代、三池往還の肥後と筑後の藩境にあたり、藩の関所が置かれた交通の要衝であった。この橋がいつ架けられたかについては安政5年(1858)、明治元年(1868)、明治9年など諸説がある。また、石工の棟梁についても種山(現東陽村)の名工橋本勘五郎との推定もあるが定かでない。石は阿蘇凝灰岩を用いており、長さ32メートル、幅4メートルである。二連のアーチの直径は各々12.5メートル、12.6メートルあり、やや扁平な楕円状になっている。橋脚を保護するための水切や上流の水勢を規制するなど、橋を守る工夫がなされている。本県の眼鏡橋としては後年の架橋であるだけに保存状態も良く、姿も美しい」(陶板の説明文より)
緑や黒のじゅうたん
木葉山(284m)のほぼ真北に松ヶ平山(383.2m)があります。玉東町役場からだと約100分、木葉山山頂からだと約50分。3つのピーク越えがあるため、木葉山に比べるとややハードですが、登山道はこちらもよく整備されています。二等三角点のある山頂近くには見晴らしの良い展望所があり、玉名平野を一望できます。緑のじゅうたんは麦畑、黒のじゅうたんはジャガイモ畑です。(2022年3月17日撮影)
木葉山
玉高本館の屋上からは木葉山がよく見えます。今回は木葉山(286.6m)に登り、頂上から玉東町を眺めてみました。玉東町役場裏から上り約50分、下り約40分の初心者向けコースで登山道もよく整備されています。(2022年3月8、17日撮影)
三池港の絶景「光の航路」
世界遺産に登録されている三池港(大牟田市)では、年に2回(1月、11月)に「光の航路」を見ることができます。2022年は1月18日から1月27日まで三池港1番岸壁と三池港展望所が開放される予定でしたが、福岡コロナ警報発動のため、1月21日までの4日間に短縮されました。夕日が沈む頃、雲に遮られたりして、思うように撮影できないことが多いようです。
※世界遺産の三池港から見える絶景「光の航路」(大牟田市観光情報)
初日の出
令和4年の初日の出を玉名市桃田運動公園から撮影しました。運動公園の高台にある天望館には若い人たちを中心に約50人が-2.1℃(玉名市岱明町)と冷え込む中、ご来光を待ちました。午前7時23分、太陽が昇り始めると静かにスマホで初日の出を撮影していました。風もなく穏やかな年明けになりました。